ジャカルタでの日々

アラフォーでジャカルタに移住した体験談

自分のルーツを辿ること。

自分のルーツというものをこれまであまり考えずに生きてきましたが、祖母の死は自分自身のルーツを考える大きなきっかけでした。このブログにも書いていますが、僕の祖母はインドネシアのスラウェシ島北部にあるマナドで生まれ育ったインドネシア人です。第二次世界大戦時に会計担当としてマナドへ赴任した祖父と現地で出会い、戦後すぐにマナドで結婚し、その数日後に祖父と祖母は日本へ行ったと聞いています。

僕は子供の頃から祖母はインドネシア出身なんだと聞かされていましたが、いまいちピンときていなかったと言いますか、祖母は祖母ですからね。日本語を話していたし、別に生まれ育った国の違いなんて全く感じていませんでした。そんなことが当たり前だったので、わざわざ気にする事はなかったのですが、祖母がインドネシア人なんだという話を友達にすると、みんな口を揃えてクォーターなんだね、と言います。こっちとしてはだから何?という感じなのですけど、ちょっと特別なことのようですね。今でも全然理解をできていないのですけど。

これは後悔にもなるのですが、全くもって気にしていなかったので、逆に言うと興味を持っていなかったのですよね。もっと子供の頃から興味を持っていれば、早い段階でインドネシアという国に来ることがあったかもしれない。まだ祖父母が元気なうちに、一緒に来ることができたかもしれない。インドネシアの遠い親族たちは実は日本にもたまに来ていた事実がわかったので、その時に会えることができていたかもしれない。全て過去のことなので、もうやり直す事は当然できません。

祖母が亡くなり、火葬場に行く前日ですね、ほんの少しの遺骨を祖母の出身地に持って行きたいと強烈に思い、小さなガラスのボトルを購入し、最後の見送りに臨みました。そして、その場で親にちょっと遺灰を頂き、マナドに持って行くわ、と告げたのですよね。でも、本当にやるとは思っていなかったみたいです。ちなみに火葬場から遺骨を分けて持ち出すには書類が必要ですので、もし同じようなことを考えられる方がいましたら、ご注意を。僕は火葬場の方が機転を利かしてくれ、その場で対応をして頂きました。

そして、行ってみるか!というノリで行ったのが、一昨年の6月です。この時はまだ祖母の親族であるインドネシアの家族たちに会うことはできませんでした。行く前に祖母の遺品から見つけたインドネシアからの手紙にあった住所にエアメールを送ってはいたのですよね。しかし、僕が行った時には誰にも届いていなかったのです。

帰国からしばらく経った一昨年の8月1日ですね、エアメールに書いておいたメールアドレス宛に遠い親族からのメールが入りまして、とんでもなく興奮したことを今でも覚えています。だから日付を忘れることはないでしょう。そこからSNSを通じて、とんでもない数がいる親族と繋がることができました。それが昨年の1週間の滞在につながり、そして今現在のジャカルタ移住に繋がります。昨年の滞在については以前書いていますので、興味ある方は読んでみてください。

www.jakartanikki.com非常に親族の多い一家なのですが、現在カリフォルニアのサクラメントという所に住んでいる僕と同世代の女性が、休みが取れたからジャカルタに来ているということで連絡をもらい、今夜夕食を一緒に食べました。彼女とはもちろん初対面です。そしてジャカルタでいつもお世話になっている叔父や叔母たちも来て、毎回思うのだけど賑やかな人たちだなーと思いつつ、ケラケラ笑いながらの楽しい食事でした。サクラメントから来られた女性は当然、英語ができるので今日はいつもより僕も話していた気がする。

初対面だけど、どこか血が繋がっているからすぐに馴染めてしまうのですよね。言葉だって正直に言えば満足に理解できてもいないだろうし、こちらの言いたいことも全てを伝えられているとは思いません。でも、一緒にいて違和感を全く覚えません。先日ジャカルタに来た母親に、あんたこっちに来てから明るくなったねと言われまして、そんなに実家では笑っていなかったのかと逆に申し訳ない気持ちになりましたが、底抜けに明るいこちらの家族たちと一緒にいることも理由の一つでしょうね。

こちらの家族と会うといつも思うのが、自分自身のルーツを知ってみたら、とんでもない世界があって、まだまだ底が見えないということです。自分のルーツを知るということが、こんなにも面白く、また今現在の自分にも影響を及ぼすとは全くもって考えていなかったので、驚きもしているのですよね。でもこれは、祖父母が残してくれた一番大きな大きな遺産なのかもしれないと僕は感じています。

 

遠い親族だけでなく、ちょっとしたタイミングや決断で出会った人というのはたくさんいます。そんなことの連続です。一期一会とはよくできた言葉で、綺麗な言葉だから使ってしまっていた自分もいるのですが、今になるとよーく理解できるようになりました。だから、自分一人の世界にいないで、もっともっと何にでも興味を持とう、自分の足で動いてみてよう、いろんな所に飛び込んでみようと改めて思うし、面倒臭がらず、何でも楽しむようなポジティブさも必要だなと、帰り道のバイクタクシーで考えました。

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いつも通りの風景ですね。しかし、インドネシア人は体幹が強いのでしょうか。40キロぐらいで走っているバイクの後ろに乗せてもらいながら、よくスマートフォンをいじっていられるよなー。僕には怖くてまだできません。

 

そんなわけで、本日の1曲はこちら。


HONNE - Me & You ◑

  

HONNEの昨年出したアルバムに収録されている1曲。これはレコードも持っていましたね。HONNEはインドネシアのフェスに出ていることもあるのでしょうか、たまに昼食を食べている店内でこの曲が掛かることがあります。とてもポジティブな気分になるといいますか、自然と身体を揺らしてしまうような曲ですよね。なおHONNEは日本語の「本音」から付けたようで、日本で数ヶ月過ごしたらとても好きになり、たまたま偶然この言葉に辿り着いたそうです。日本でもライブをやったのかな、生で見たいですね。

 

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