ジャカルタでの日々

アラフォーでジャカルタに移住した体験談

余裕がない日々が続いています。

仕事が忙しく、ブログを見たり書いたりできなかった。仕事における立ち位置が大きく変わり、まだまだ慣れていない。もうしばらく時間はかかりそうだけど、早いところ余裕を持てるようになろう。

そんなわけで、仕事以外のインプットもアウトプットもできなくて、何してんだろとどこかで思ってしまうのだけど、このように追い込まれてしまい、行くところまで行くと心が壊れてしまうのだろう。海外に住んでいるけど、日系企業で働いていれば、仕事における文化は日本と変わらないので、どこかで気を付けていようと強く思った今週。どこにいても、仕事よりも人との関係性で疲れてしまうのでしょうね。立場の弱い人にマウントを取る構図は、ここにもあるよなーなんて思ってしまう。

インドネシア人のローカル間でも役職のあるなしで、関係性が決まってしまうと感じることもあり、これは別に日本に限った話ではないことをこちらに来てから知った。もちろん組織のことなので、上から下に話が下りていくことはよくあるし、下から上にお願いすることもある。しかし、上の言うことを聞くように、あるいは社歴の長い人が正となるのが当たり前になると、どうしても不満が溜まることもある。

マネジメントの難しさを感じる。コミュニケーションで解決などと言うけど、話が通じなかったり、自分の考えを変えようとしない人もいるので、話していてもしょうがないとどこかで諦めてしまう自分もいる。新しいものを知ろうとせず、知識がなくて理解できないから否定せざるを得ないのだろう。そこを理解してもらうのは、労力がいるし、そんな時間も勿体ないので、こっちが折れるしかないとなってしまっている。これが本当はいけないのだろうけど。ただ、闘えば闘うほど無駄な労力となり、結果残るのは疲労だけとなる。

疲れの原因は、仕事よりも諦めによる虚しさなのではないか。今週は、そんなシーンがいくつかあった。自分自身、これまで大きな組織に身を投じたことがなく、移住してからが初めてなこともあり、ここまで面倒なのかとまだまだ消化できていない。どこかで考えることを止めれば楽になるのだろうが、そこは多分無理だろう。折り合いを付けられなくなった時のことも考えておこう。「これが社会人なんだ」なんて訳知り顔で言う「大人」になりたくないし、そんな人は好きでない。

「受け入れろ」という同調圧力は、立場の低いものを苦しませている。それに耐えられないからと「根性がない」で片付けるのは、おかしい。これまでのやり方が正しいのだから、言う通りにすべきもおかしい。これらは、システムが間違えていると認めるべきで、修正できないといずれどこかが壊れるだろう。

このような場に身を置いていると、おかしいと思える部分を体感し、いずれ自分に還元できると思うので勉強にはなる。ただし、今はどこか俯瞰で自分も捉えられているので、まだまだ自分自身は全然大丈夫だけど、新入社員などはキツイだろうなぁと思う。だから、ローカルスタッフで、まだまだ20歳で入ったばかりの男の子がいるが、彼には丁寧に接しようと改めて思った。自分がされて嫌なことを、相手にするのは違うから。もちろんある程度の責任を負わせたいし、そうしないと動かないので、言うべきことは言うけど、フォローをどうしていこうか、そんなことを見つめ直させられる日々です。

 

ということで、本日の1曲はこちら。


Simfoni Rindu (feat. Fathia Izzati, Joe Taslim)

Listen on Apple Music 

Diskoriaの新曲になるのかな、YouTubeで見つけた。懐かしいDisco調な雰囲気は、相変わらず。でも、古臭さは不思議と感じない。元気にさせてくれる曲だなー。

 

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