村上龍の新著をやっと手に入れた。
やっと大好きな村上龍の新著を手に入れることができた。
まだ読んでいないので、どんな内容なのかはわからない。でも、書評を見る限り、今までの村上龍の作品からは異質を放っているというものも見た。
恐らくこれまでたくさん描かれてきたバイオレンスのような描写はないのであろう。それは何となくわかる。僕が村上龍で読みたいのは、もちろんストーリーもあるのだけど、緻密な描写である。誰もが同じものを共有できるぐらいの文章量で書かれた一つ一つの描写が好きだ。
たぶん村上龍が言ったはずだけど、パソコンが普及し、1枚の写真の容量と自分が書いた原稿の文書データの容量を比べたら、圧倒的に1枚の写真の方が多くて、それだけ写真は情報量が多いということなのだろうという言葉があって、頷いてしまった自分がいた。
今でもこの言葉はよく覚えていて、どんなに文章を書いたところで、一枚の写真には情報量として勝ることはできないし、今となっては動画データもあるので、その差は歴然としている。村上龍と言うと、どうもこの一節を思い出す癖が最近はある。
村上龍の著作は以前はよく読み返していた。特に読んだのは「愛と幻想のファシズム」と「コインロッカー・ベイビーズ」の2作。「五分後の世界」も「希望の国のエクソダス」もそういえば何回か読み返した気がする。僕にとってはバイブル的な本ばかりだ。
特に普段の生活でしんどいことや逃げ出したいことがあった時に読み返すことが多かった。勇気をもらうからがその理由である。モチベーションが上がるし、こんな自分じゃダメだ!となるので、自分を奮い立たすために読むと言ってもいいのかもしれない。
昔の村上龍はキレッキレな文章で、それはそれでキラキラしていた。カッコ良かった。でも、歳を取るにつれてもっと理屈っぽい部分も出てきた気がする。ただ、昔も今もそこまで言いたいことは変わっていないのではないか。だから、読み続けるし読み返す。
一方、同じ村上でも村上春樹もいるが、僕ははっきり言ってしまうが嫌いである。でも、彼の著作も新刊が出るごとに単行本をすぐにネットで買っていた。嫌いだから読む。どうも村上春樹の方は言いたいことがよくわからない。言いたいことなんてないし、エンターテイメントだと周りからは言われるけれど、そのエンターテイメントを理解できていないのかもしれない。
村上春樹については何故売れるのかがわからないから、知りたくて読んでいる部分もある。どうしてなのかがさっぱりわからない。だから、これからも読み続ける。でも、読み終わると結局何を言いたいんだよ!となる自分がいる。そんな言いたいことなんて、ないのかもしれないけれど。
そういえば、吉本隆明が「ふたりの村上」というタイトルで龍と春樹を論じている本があるので、これも読みたい。これも買わないと。日本にいると、この手の本はすぐに手に入るのは嬉しい。
というわけで、久しぶりにガッツリした読書タイムです。小説は読める時に読まないとですね。
本日の1曲はこちら。
Joel Sarakula - Midnight Driver
Joel Sarakula、新譜を出したんだ!前作がとても良かったのですが、今回もスマートで甘い感じですね。相変わらずいいなぁ。ファンク的な要素も入っているので、それもまたいい。